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想いの行方 4



 右手首についた痣はなかなか消えることはなく、あれから数日が経った今でさえうっすらと痕跡を残していた。
 あれから一度も音楽室に行っていない。
 いきなりあんなことをされたのだからそれは当然のことだけど、習慣にしていたことがなくなると放課後を持て余してしまう。

「あぁ──、ヒマぁ……」

 教室にはオレを含めた3人が何をするわけでもなくたむろしていた。自分の机に突っ伏して空を仰ぎ見る。会話に参加するわけでもなく、雲がゆっくりと上空を流れていく様を眺め穏やかな時間が過ぎていくのを感じていた。

「今度の日曜、どうするよ?」

「ん? ……あぁ、そうだなぁ。映画とか?」

「何か面白いのやってたっけ?」

「さぁ……あ、行くんなら生徒手帳持ってかないとな」

「桜海ちゃん、気が早ぇって」

 2人の会話を聞き、何気に早速カバンを探るオレに笑いながら友人が言った。
 いつもカバンのポケットに入れてるんだけど、探れど探れど見つからない。

「あれ……どこかにやったっけ?」

「何、もしかして失くしたとか? だっせぇ」

「ん──……、ってか本気でない」

 自分の部屋で出した記憶もなければ、最近使った覚えもない。あるはずの場所にないってことはもしかしてどこかで落としたのか……? だんだん焦りを感じてきてカバンの中までもひっくり返すけど、やはり出てくることはない。

「どこで落としたんだろ?」

 学園内で落としたのなら誰かが届けてくれてもいいはずだ。いつのタイミングで失くしたのかわからないけれど、名前もあるし写真だって……。

「意外に自分の部屋に落ちてんじゃねぇの? 帰ってよく探してみろよ」

「う、ん。そうしてみる」

 もしかして、あの時音楽室で落としたんじゃないよな?
 あの日。意識が戻った時にはすっかり部屋は薄暗くなっていて、オレは床に倒れたまま放置されていた。見渡しても先輩の姿はなくて、腕を縛っていたネクタイもすでに外されていた。節々の痛みと腰から下にかけての違和感を堪えて、自分の荷物を手繰り寄せ抱えると気怠い身体を引き摺るようにして音楽室を後にした。
 散々好きなように弄ばれた挙句に1人で置き去りにされていたことが、追い打ちをかけて惨めな気持ちにさせた。
 どうしてこんなことになったのか、先輩はどういうつもりでオレを抱いたのか……。いくら自問自答を繰り返しても答えはなく、頭の中は混乱していて酷い頭痛がした。
 寮に戻ってようやく張り詰めていた緊張が解けて、ベッドに倒れ込んだ後のことはまるで覚えていない。
 嫌なことを思い出してしまって口中に苦味が走り、ため息で紛らわせる。

「大丈夫かよ? 桜海の奴」

「ん──、元気ないよな。ここんとこ」

 背後にそんな会話を聞きながら、オレは教室を後にした。
 寮の部屋をいくら探し回っても見つからず、生徒手帳を紛失したことがわかってから2日が経ったある日のこと。 

「桜海、お客さん」

 休み時間にクラスメイトがオレの所までやってきて、廊下を示しながら言った。
 教室からは死角になっていて姿までは確認できない。仕方なく席を立って廊下まで出て行くことにする。
 教室から一歩外に出ると、そこで待っていた須藤 七臣を見つけて身体が凍りついたよう冷たくなり硬直する。完全に油断していた。あの悪夢のような日からもう少しで1週間が過ぎようとしていたし、先輩の方からオレを見つけ出しわざわざ会いに来るなんて思ってもなかった。

「桜海 知幸(おうみ ともゆき)って名前だったんだな。お前」

「なんでそんなこと知って……」

「生徒手帳。……持ってないんじゃないか?」

 やっぱりそうだったんだ、と思った。あの時のどさくさでカバンから落ちて、彼が拾って持っていたのならいくら探しても出てくるはずがないし、誰も届けに来ないわけだ。
 それにしても今頃になってオレの名前を知ったところでどうだっていうんだ。
 
「返してください」

 手を差し出すと彼は楽しそうにクスッと笑った。その態度が無性に腹立たしくて、オレは彼を睨み上げた。

「取りにおいで。放課後、音楽室に」

「誰がそんなっ」

 見え透いた罠に飛び込むヤツがどこに居るっていうんだ。
 あの日散々な目に合わせておいて、今更優しげな声で言われたところで騙されるわけがない。

「怖いのか?」

「そ……っなわけ、ないっ」

 一歩、彼が前に出る。それに合わせて思わずオレは後退していた。これじゃオレが彼に怯えていると認めているようで、気持ちを奮い立たせて一歩前に出てやると、そんなオレの強気な姿勢に彼は再び笑って見せる。

「待ってるよ、桜海」

 彼は少し屈んでオレの耳元に囁く。瞬間、背中をゾクッと冷たいものが走り抜け、オレは片手で耳を押さえると、すぐさま先輩を目で追い掛けた。目を細めオレの反応を満足そうに見て、それ以上は何もせず背を向けるとやけにあっさりと去って行った。
 何もかもが口惜しくて腹立たしかった。今頃になってオレの前に現れたことも、生徒手帳を人質に自分のテリトリーに呼び出すやり口も。きっと何か魂胆があるに決まっている。そうでなければおかしい。
 オレの中の警笛は鳴り響いていて、明らかに危険だと伝えている。けれどそれとわかっていて、こうして彼の領域に訪れているなんて、オレもとんだ愚か者だ……。
 久々にやって来た音楽室の扉を前にしてオレは大きくため息をついた。
 ドアノブを掴むとゆっくり回す。ギィッと軋み音がして隙間が開くと、初めて来たときと同じようにピアノの音が聞こえてきた。
 何度もここを訪れたけれど、その曲は多分初めて聴くような気がした。
 今度はどんなイメージでこの曲を弾いているのか……。
 そんなことを思うとまた胸がキリキリと痛みだす。

「桜海、来たんだな」

 ピタリと曲が鳴りやんで、奥から先輩の声がした。
 オレは教室の中に入ると扉を後ろ手に閉める。覚悟を決めてその声の主に姿を見せると、彼は嬉しそうに破顔した。

「先輩……?」

 一見、彼は上機嫌に見えるけれど。それが妙な胸騒ぎを引き起こす。
 手招きされても固まったままのオレに構わず、いつもオレが座っていた窓際の席の椅子を引くと言葉を続けた。

「ここにきていつものように座れよ。そうだ、好きな曲を弾いてやる。何がいい?」

「な、に……」

 訳が分からない。一体何だって言うんだ? もしかしてオレのことをからかってるのか?
 何を考えているのかわからない先輩の行動に、オレはどう対処していいのか注意深く様子を窺う。

「どうした? こっちに来ればいいだろ」

「……ふざけるな。誰がっ」

「用心深いもんだな。……じゃあ、これはどうする?」

 彼はポケットから小さな冊子を取り出すと、それを顔の高さで掲げた。
 逆光でよく見えないけどそれは生徒手帳に見えた。すぐさま取り戻したくて足を前に出したけど、それを見た彼の顔がほんの少し笑った気がしてその場に踏みとどまる。

「ん? どうした、取りに来ないのか?」

「それを机に置いて離れろよ。じゃないと行かない」

「へぇ。……そうきたか」

 感心したように彼は呟くとしばらく手にしている手帳を眺め、そしておもむろに背後の窓を開け放した。
 今度は何をする気だ? そう思った時彼は手帳を持った手を窓の外に出して、オレの方を見るとにっこりと微笑む。

「取りに来いよ。そうでなければ、ここから捨てる」

「誰が、そんな脅し……」

「本気でそう思うのか?」

 その窓の下は裏山に面している。藪の中に投げ捨てられでもしたら、おそらく探し出すなんて不可能に近い。まさかそんなことをするはずがない。そう信じたくても彼ならやりかねない気がして究極の選択を迫られたみたいに動悸がする。

「そうか……残念だな」

 彼の声が聞こえて、その手が一度こちら側に戻ってきたのがやけにゆっくりと見えた。
 投げ捨てられてしまう。それを確信した時、足が床を蹴って彼の元に飛び込んでいた。

「や、めっ」

「最初から素直に来ていれば優しくしてやるのに。どうして抵抗するんだ? 桜海」

 オレを受け止め頭上からする彼の声に、負けを認めざるを得ない。

「……卑怯者」

 睨みつけると後ろ髪を掴まれ仰ぎ見る姿勢を取らされる。詰るオレに彼は口の端を上げて見せるとその顔を近づけてきた。

「どうとでも言え。お前は俺から離れられない。……そうだろう?」

「ふざけっ……」

 唇が柔らかいもので塞がれ、吐息が封じられる。言葉を続けられなくなったオレの舌を吸い上げると、合わさったところからクチュリと濡れた音がする。背中をゾクゾクとした感覚が這い上がってくると今にも膝から崩れ落ちてしまいそうで、オレは両手を先輩の背中に回すと必死になって縋りついていた。

「あれから1週間。その間どうしてたんだ? 桜海」

「うっ、あ……」

 机の上に上半身を捩じ伏せられて、開いた脚の間に先輩の膝が割り込んでくると股間が押しつけられる。彼の膨らみを尻に感じさせられて、忘れてしまいたい記憶が呼び起された。
ブアッと全身から火が出るくらいに熱くなり、身体が震えだして逃げようともがくとさらに強い力で封じられる。

「覚えてるみたいだな」

「ぃや、だ……。やめろ」

「自分で慰めることもあったのか? それとも、耐えられずに誰かに抱かれたか?」

「だっ……」

 耳のすぐ近くで吐息交じりに囁かれると、それだけで身体を動かせなくなる。その上屈辱的な言葉で嬲られ、ロクに言い返すことも出来なくて悔しさだけが募っていく。
 先輩の手が服の上から尻の狭間に触れ、指がその場所に強く突き立てられる。喉の奥が鳴るほどに息を呑みこんでその衝撃に堪えるオレを、嘲るように笑うのを背中に感じた。

「放せよ、オレに触んなっ」

「口ではどう言おうが、抱かれたくて疼いてるんだろう?」

「ちがうっ」

 悪魔のような低い囁きを、首を振って否定する。だけど彼の手がスルスルと腰から前に伸びてきて、密かに欲望に孕んだ前身を包み込む。泣きそうなくらいに情けない気持ちになって、オレは自分の身体を支える机の天板をぎゅっと握りしめた。どれだけ抗おうと結局は彼の意のままにされる。その度に惨めな思いをするのはもうイヤだった。




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